2026.05.03
情報申告
FBARの違和感
米国の税務では、外から見ると合理的に見えて、内側に踏み込むと急に別の論理が支配している領域がある。FBAR(FinCEN Form 114)は、その典型例だ。
たとえば、次のようなケースを考える。
• 2025年1月1日:グリーンカード保持(=U.S. person)
• 2025年1月2日:正式に放棄(極端な話だが)
税法の世界では、この瞬間に非居住者へと戻る。
しかし2025年に一度でもU.S. personだった。よって2025年全体のFBAR提出義務がある。日本の感覚では、義務は「その期間に応じて発生する」のが自然だ。1日だけ居住者なら 1日分の義務があると考える。ところがFBARは違う。 1月1日にU.S. personであったという事実だけで、その年の365日分の最大残高の報告を求められる。その年は丸ごと報告対象だ。この“丸ごと”という発想こそが、個人の直感と最もズレる部分だ。
FBARの1万ドル基準は 年間最高残高 で判定される。 しかし、その最高残高の大半は、たいてい US personではなかった期間の残高 だ。
それでもFBARは言う。
• 「最大残高は1年間を通じて報告する」
• 「換算は12月31日の為替レートを使う」
このズレこそが、FBARという制度だ。税法は、滞在日数や生活の中心を細かく見て、居住者か非居住者かを日単位で判定する。市民権やグリーンカードを放棄した日で居住者期間は終わり、その後は非居住者にもなれる。
しかしFBARは違う。居住者期間の扱いは税法のように日単位ではなく、“その年のどこかでUS Personだったか” だけを見る。そのため、1月1日にグリーンカードを持っていたというだけで、その年は丸ごとU.S. person扱いになる。税法は実態を見て丁寧に区切るのに、FBARは身分だけで一発アウト。金融犯罪を見逃すわけにはいかないという厳しさだろう。しかしながらこのズレには、どうしても違和感が残りやすい。