
2026年6月にTIGTAが公表したレポートは、現在の米国税務行政の構造的変化を示している。わずか1年で3.1万人、IRS職員の約30%が職場を去った。新規採用はわずか2,000人にとどまり、結果として人員は28%の純減となった。しかも離職は、あらゆる部門に及び、紙申告や修正申告、国際案件を担う日本在住者には直接影響を与える。 表面的には、米国内の多くの納税者にとって大きな変化は見えにくい。e-fileとダイレクトデポジットを利用する給与所得者にとって、還付は依然として数週間で処理される。IRS自身も「大多数の納税者への影響は軽微」と説明している。アメリカの税務の本丸はできる限り影響を受けないようになっている。 しかし、海外は蚊帳の外に置かれているようだ。 日本居住の米国申告は本質的に人手依存である。海外住所、ITIN、租税条約、Form 1116、紙提出、修正申告、さらには国際郵便。これらはいずれも自動化が難しく、人的処理に依存する領域である。その担い手が3割いなくなっている。 影響はすでに顕在化している。TIGTAの2026年1月・2月の報告が示す未処理案件は象徴的だ。修正申告は54.8万件、紙申告は30万件、エラー処理待ちは12.6万件超、コレスポンデンスは37.5万件超に積み上がる。さらに深刻なのは、紙のデジタル化がほとんど進んでいない。2025年に受領した570万件の紙書類のうち、スキャン処理されたのはわずか7%に過ぎない。つまり、紙で送付された書類は、システムに取り込まれるまでに数か月単位の遅延を前提とすることになる。 この遅延は、単なる「時間の問題」では終わらない。通知制度そのものにも歪みが生じている。IRSの申告内容に対する通知は、本来であれば処理状況を反映したものであるはずだ。しかし現実には、回答済みの案件に対して同一通知が再送される、処理が途中で停止する、ITINが発行されても既存アカウントに紐づかない、期限内に返送したにもかかわらず期限切れと扱われる、といったことが起きる。1か月以内に回答せよという通知が期限直前や期限を越えて手元に届くこともある。ここにあるのは、個別のミスではない。制度的な処理能力の低下だ。すなわち「正しく申告しても処理されない可能性」が、例外ではなく構造として存在し始めている。 海外からの申告はアメリカ国内の税務だけでは終わらずに、複雑な申告になりがちだ。こういうところは機械処理ではなく、IRSの中でもともと人手をかけて慎重に処理される。人員削減は国際部門だから行われないということではない。その結果、海外在住者の申告は「遅れる」「止まる」「誤る」というリスクにさらされることになる。不動産の譲渡時に源泉徴収される税金の還付が数か月で行われると見ていたものが、1年たっても、それ以上になっても還付されないこともあり得る。しかも金額が大きい。 米国内の単純な給与所得者には依然として大きな影響はないかもしれない。しかし、海外在住者、複雑案件、紙提出、修正申告に関わる者にとっては、大きな変化である。これからは、「正しく申告してもうまく処理されない可能性がある」ことを心しておく必要があるだろう。

IRSは日本在住者に対して、申告書をまとめる時間的余裕を与えるために、申告期限を自動的に 6 月 15 日まで延長している。しかし、「とても明日までに申告書を提出できない」という場合もある。あきらめる必要はない。Form 4868 を提出することで、申告期限を 10 月 15 日まで延長できる。ただし、税金の支払い義務そのものは 4 月 15 日に確定しており、これは延長されない。 アメリカ税法では「申告しない」ことに対する罰則が重い。無申告罰金は通常月 5%で、最大 25%に達する。一方、支払い遅延に対する罰則は月 0.5%であり、その差は 10 倍にもなる。延長申請を行えば「申告をする意思表示」とみなされるため、無申告罰金を回避できる点が重要である。 夫婦で申告する場合、合算申告を予定しているなら夫婦連名で Form 4868 を 1 枚提出すればよい。個別申告を予定している場合は、それぞれが別々に Form 4868 を提出し、自分自身の所得・源泉徴収・予定納税額のみを記載する必要がある。なお、延長申請時点での申告ステータスは柔軟であり、夫婦合算で延長申請して後に個別申告へ変更することも、逆に個別で延長申請して後日共同申告にまとめることも可能である。 では、延長時点でいくら支払えばよいのか。これに完全な正解はない。通常は前年の Form 1040 を出発点にし、給与の増減、株式売却、日本側の所得、不動産収入、年金、為替変動などを加味して概算する。それも難しければ、昨年と同額を納付するという選択肢もある。税金が発生しない場合も多く、その場合は Form 4868 の税額欄をゼロで提出すればよい。 Form 4868 の提出方法はいくつかある。電子申告で送信することができる。電子申告に馴染みがない場合は紙の Form 4868 を郵送することもできる。IRS の送付先は州や提出方法によって異なり、毎年変更されることもあるため、その年の Instructions を確認する必要がある。郵送の場合は期限日までの消印が重要であり、小切手を同封する際には SSN、税年度、「Form 4868」を明記する。 今から小切手の作成や郵便局への持ち込みができない場合もある。そのような場合には、「税金の支払いだけで延長申請になる」という仕組みを利用できる。日本にいながらクレジットカード払いを行えば、自宅でオンラインショッピングと同じ感覚で処理でき、支払いと延長申請を同時に完了できる。ただし、クレジットカード払いのみで延長申請を済ませる場合でも、6 月 15 日 23:59(米国時間)以前の決済承認が必須である。タイムゾーンを考慮し、早めの処理が望ましい。アメリカに預金口座を持っている場合は、IRS Direct Pay を使い「Extension」を選択して支払うだけで、Form 4868 の提出と同等の扱いになる。 まだまだあきらめることはない。

アメリカの税制は、夫婦をひとつの “経済の共同体” として扱う。その思想がもっとも色濃く表れるのが MFJ(夫婦合算申告) だ。MFJ を選ぶと、標準控除は 2 人分、税率の階層は広く、教育や住宅に関する控除も開かれていく。 2025 年の標準控除は 31,500 ドルだ。もし MFS(夫婦個別申告) を選べば、その半分の 15,750 ドル になる。実効税率を 20% とすれば、標準控除の差だけで 約 50 万円の差 が生まれる。さらにMFS を選ぶと、教育控除、勤労所得税額控除、子ども関連の控除など多くの優遇が閉ざされ、標準控除は半分に縮む。税率も不利になり、結果として税額は高くなることが多い。 アメリカの税制には、夫婦の収入構造によって税負担が変わる 「結婚ボーナス(marriage bonus)」 と 「結婚ペナルティ(marriage penalty)」 という現象がある。 Marriage Bonus(結婚ボーナス) 夫婦の収入に差が大きいほど、MFJ のメリットは大きくなる。片方が高収入で、もう片方が専業主婦(主夫)やパートタイムであれば、MFJ によって税率階層が広がり、夫婦全体の税負担が下がる。典型的な marriage bonus のケースだ。 Marriage Penalty(結婚ペナルティ) 夫婦双方が高収入の場合、MFJ によって税率階層が圧縮され、結婚したことで税額が増えることがある。 日本居住者の場合は控除の制限が多いため、総合的には MFJ が有利になるケースが多い。 一方で、MFJ を選ぶと数字だけでは語れない連帯責任という重みがある。配偶者が税金を未納にした場合でも、MFJ では双方が責任を負わなければならない。 MFS(夫婦個別申告)は税制上は不利だが、自分の税務責任を自分だけに限定できるという最大のメリットがある。 日本の税制には MFJ に相当する制度がないため、「結婚している=自動的に夫婦合算」というアメリカの発想は、日本人にとって直感的ではない。配偶者がアメリカ市民であれば、MFJ が当然という感覚があるかもしれないが、アメリカでは結婚していても、夫婦は毎年 MFJ と MFS を自由に選べる。 状況に応じて、ある年は MFS を選び、翌年は MFJ に戻すという運用も制度上まったく問題ない。

日本に住みながら米国に申告を行う場合、情報の遅れや書類の入手難など、どうしても不確実性がつきまとう。そんな状況で頼りになるのが Form 4868、いわゆる申告期限の自動延長制度である。 「最善の見積もり」 データが揃わないのは日本在住者ではよくあることで、米国源泉の書類が遅れたり、外国税額控除の数字が確定しなかったりと、6月15日の日本からの申告期限を前に、正確な税額を把握できないことがある。そこで登場するのが「Best Estimate(最善の見積もり)」という概念である。IRS は、この見積もりに完璧な正確性を求めていない。入手可能な情報に基づいて誠実に計算していれば、多少の誤差は問題にならない。極端な話、根拠の薄い 500 ドルと記入しても、それ自体がペナルティの対象になることはない。見積もりより実際の税額が少なければ、還付として戻るし、実際が 1,000 ドルや 2,000 ドルであれば、差額を支払うだけで済む。 IRS にとって重要なのは「誠実さ」であって、「精密さ」ではない。この姿勢は、日本在住者にとって大きな救いになる。 迷ったら、昨年と同じ税額を入れるという選択肢 推定がどうにも難しいときは、昨年の申告書に記載した税額を、そのまま入れるという方法がある。不動産所得や給与所得など、年によって大きく変わらない場合には特に有効である。これは IRS の実務にもよく馴染む、いわば「無難な選択肢」である。 Form 4868 を提出することの意味 Form 4868 を出すかどうかで、ペナルティの世界は大きく変わる。提出していれば、税額の見積もりがずれていても延長は基本的に有効だ。ゼロでも、根拠が薄くても、提出しないよりは圧倒的に良い。 日本在住者は、日米の税務資料が揃わず、正確な税額を把握できないことがある。 しかし、Form 4868 を提出するだけで、無申告罰金(月 5%)を避けることができる。 最善の見積もり制度は、データ不足を正当な理由として認めてくれる。過大見積もりであれば、あとで還付として戻ってくる。 つまり、精度が低くても提出することが「最善の選択」である。「まだ資料が揃わない」「もう少し時間がほしい」そんなときこそ、迷わず Form 4868 を出せばよい。日本在住者にとって、これは米国税務をできるだけ安全に乗り切るための、実務的でな防御策と言える。

申告書を紙でIRS送る場合、迷うのが IRS の住所に番地がないことだ。 Department of the Treasury Internal Revenue Service Austin, TX 73301-0215 USA 日本でいえば「東京都 東京都庁 160-0023」とだけ書き、 「新宿区西新宿〇丁目〇番地〇号」がない。郵便が住所ではなく ZIP Code で動く仕組みとなっている。 ZIP Code は「住所」ではなく“行き先コード”になっている。 アメリカの ZIP は、 • 12345(基本) • 12345-6789(ZIP+4:細分化) という構造で、 • 最初の5桁:地域・郵便局 • 後ろ4桁:建物内の部署・私書箱・処理ライン を示す。 IRS Austin の 73301-0215 は、 • 73301 → IRS Austin センター • 0215 → その内部の特定部署 という意味で ZIP だけで行き先が決まる。 IRS は毎年、数億通の郵便物を受け取る。 番地を探して配達する方式では処理できない。 そのため USPS と連携し、郵便物は次のように流れる。 1. ZIP 73301 に到着 2. IRS 専用搬入口へ 3. ZIP+4 で自動仕分け 4. 各部署へ配送 73301 = IRS Austin センターそのもの。 日本でいえば、「160-XXXX → 東京都庁の郵便集中センター」に自動的に仕分けされるようなものだ。 FedEx / DHL / UPS等は別住所が必要となる。 民間のデリバリ―サービスは 道路住所(番地)が必須になっている。 そのため IRS は民間宅配用に別住所を持っている。 3651 S IH 35 Austin, TX 78741 USA IRS の住所は「番地がない」のではなく、そもそも「番地を使わない仕組み」となっている。 日本: 番地 → 建物 → 部署 アメリカ(IRS): ZIP → 専用搬入口 → 自動仕分け → 部署 という順番で郵便が届く。 郵便局で「番地がない」と言われても、 IRS の仕組みではそれが正しい住所で、なかなか理解してもらえないかもしれない。

日本で静かに暮らしてきた人が、ある日突然「あなたは米国納税者である」と告げられることがある。いわゆる意図せず米国籍を持つ人 の問題である。本人に米国とのつながりはほとんどない。米国で生まれただけ、あるいは米国籍の親を持つだけで、米国の税務義務が課される。 この構造は、国際税務の世界でも特異であり、当事者にとっては理不尽だ。 米国は世界でも珍しい 市民権ベース課税を採用している。居住地に関係なく、米国籍を持つ者は米国税法の適用を受ける。日本に住み、日本で働き、日本で税金を納めていても、米国は「あなたは米国市民である以上、米国税務申告を行う義務がある」と主張する。 出生時に米国籍を得た人に対して出生証明書を発行する病院も、パスポートを発行する国務省も、 税務義務についての説明は基本的にはしない。 IRS も税務義務・FBAR・FATCA等の説明を積極的に行っているとは言いがたい。 申告義務を知らずに長年放置していた場合、申告書の提出だけではなくFBAR(外国銀行口座報告) やFATCAの未提出が問題となる。未提出にはペナルティがあり、ここで困ってしまう。 実際には、故意でなければ救済策が存在するが、仕組みがわかりにくい。 こうした状況の中で、米国市民権の放棄を選ぶ人も増えている。今般、 国務省が市民権放棄手数料を 2,350ドルから 450ドルに引き下げたことは、市民権を放棄しようとする人にとってはありがたい話だろう。それでも放棄には Exit Tax(出国税) の問題がつきまとう。資産が一定額を超えると、放棄時点で含み益に課税される。これは「自分の意思で取得したわけでもない国籍を手放すために税金を払う」という、逆説的な構造である。 根本的な問題は市民権ベース課税という制度そのものにある。米国籍を持つというだけで、世界中のどこに住んでいても税務義務が生じる。この制度は、グローバル化した現代社会において、ますます多くの「意図せざる納税者」を生み出している。

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